大震災から10年
今日は東日本大震災からちょうど10年の日。あの日のことは鮮明に覚えています。自分の机の隣にある本棚が大きく揺れて、必死に手で抑えていました。常務のパソコンが倒れたこととか、一番覚えているのは、その時にいたプレス職人さん。あの余震の中でもプレスしていましたから。うちの会社の一階は頑丈です。さすがに本震中は大きく揺れましたが、余震の中では、結構普通に作業をしていました。
電車通勤の社員は帰ることが出来ず、会社に残っていました。私は家から簡易的な布団を持ってきて寝てもらうおうと思っていましたが、写真たちは手持ち無沙汰で夜中まで仕事をしていたそうです。ちなみにその時にいた社員達が全員退職しており、完全に入れ替わっております。
うちの会社と自宅の間に国道17号線があります。中山道です。夜、家から会社に戻るときに中山道を通ると本当にびっくり。ものすごい渋滞で全然車が動かず、そして、都心から埼玉方面へ徒歩で帰宅する人たちの多さ。完全に別世界でした。
あと、印象に残っているのは、大規模な節電。中山道の街灯が間引きされており、お店の看板の電気も消え、真っ暗。いや、あんなのもう二度と嫌です。原発のニュースも毎日流れ、本当にこの先どうなるのかと。社員は来れるのか?仕事は出来るのか?お客さんは大丈夫か?などなど、不安なことだらけでした。特にうちは東北地方のお客様が多く、あのショッキングな津波の映像のまさにあの場所にお客様がおりましたので、担当の人は無事か?仕事はどうなるのか・・・と本当に心配だらけでした。
東京は割と被害も少なく、社員達も次の週からほぼ全員出社でき、早々の営業は再開できたのです。連日の津波被害、また原発のニュースが流れ、絶え間なく続く余震の中、私はどうにかこうにか「通常」営業を目指していましいた。心は折れなかったし、現実見ると、仕事自体は結構忙しかったんです。さすがに3月は大きく凹みましたが(そもそも受入出来ませんから)、次月以降は通常に戻るまでは早かったです。ボランティアに行く人がたくさんいましたが、私はその中でも、「通常営業すること」自体に意義を感じていました。うちは大丈夫です!って。
内心は本当に心配でした。余震が本当に多く、悲しいニュースが流れる中、意地でも「普通」にしようと。それが私の社会的責任だと思っていましたね。
あの震災があったからこそ・・・っては絶対思えません。あれだけの人が亡くなっているのですから。地震が無かった方が良いに決まっています。それより、天災への反骨心っていうか、そんなのにも負けないよ、うちは「普通」にやってますよ、ってこと。その気持ちは今回のコロナ禍にもつながっているかもしれません。