中小企業向け補助金の見直し議論
昨日のニュースにて、中小企業向けの補助金について、財務省にて見直し議論が行われているとのこと。自分の会社に関係することですので、すぐにアンテナ立ちました(笑)やはりそうなるか、、と、なんか複雑な気分です。
正直な意見を書きますが、半分納得してしまいました。私は自分でシュミレーションして書類を書いておりますので、申請書類作成にコンサルタントの方に頼ってはおりません。コンサルタントに依頼する場合は成功報酬で○○%支払うことになります。それが良いか悪いかは別にして、それでも、2/3まで補助してくれるわけですから、使わない手はないと思うのが使う方の理屈です。よって、仮にコンサル料を取られても使った方が利益が大きいということです。
で、逆に審査する方の立場から見ると、正直、機械の性能などあまりに専門的過ぎて、その設備の導入効果の見極めはかなり難しいと思います。しかも、応募数はかなりのものです。専門分野でまっとうな議論をするのであれば、同じくらいの知識が審査員に必要とされるわけですから。そうなると、申請が通るのか通らないのかは、最終的に申請書がどれだけ論理的に書かれているか?という、書類作成能力によるところが大きいのは確かかと思います。
モノづくり補助金に関わらず、政策としての中小企業向けの補助事業は自由競争の論理からは外れているというのは正論です。自由競争の論理にて、政府は手を出さず、市場で自由に競争させることで、勝者と敗者が出るのは自然の摂理です。だから、補助金で力の無い会社を優遇する処置は、もしかしたら、自然な退出を阻害している要因かも知れません。それは、もしかしたら雇用を維持する助成金でも同じことが言えます。
ただし、自由競争では勝つものは勝ちますが、負けるものは負け続ける。そうなると格差が生まれる訳ですから、岸田首相がいう「新資本主義」の中で、中小企業向けの助成政策がどのように変わるのか。
日本という国の経済発展を見ると、戦後ずっと政府主導、半ば半社会主義的に発展したきたと言って良いと思います。小泉政権以降、規制緩和や外資の受け入れを開始して、アメリカ型の資本主義制度が進んで格差が生まれるようになりました。それで、今回の選挙の論点でもあった「分配」。行き過ぎた格差の是正が求められております。その中での中小企業向けの補助金の見直し議論。興味深いですね。どうなるのだろうか。
アメリカや中国は、競争は競争で負けたものは退出するのが自然という考え。その考えは、今までの日本経済の成り立ちから見て、完全に受け入れることは難しいでしょう。何度も議論されている問題かと思いますが、経済だけでなく、社会全体がそのような、いわばぬるま湯の中にいるわけです。ぬるま湯は産業競争力から言えばネガティブな要因ですが、社会全体の安定から見ると悪いものでもないのです。
私も補助金「リピーター」の一人です。もし今後も同様の制度があればそれは使わせてもらいます。もし制度が終わったとしても、必要な投資は行う予定です。問題なのは、必要でない投資を補助金があるからと言って進めることで、それは単なる税金のムダ遣いと言われても仕方ありません。ただし、制度がある以上、それは無くならないですよね。そうなりますと、審査の段階での見極めをもっと厳しくやるべきだと思います。例えば、書類選考後、面接を行うなど。コンサルに丸投げしていれば、面接では自分の言葉では語れないと思いますから。その厳格な審査を限られた審査員でやるのか?ということです。
補助金自体、その目的に沿って使うのであれば問題はありません。そもそも政策立案者は、補助金で潤うコンサルのことを前提としておりませんから。でも、順番が逆で、補助金のお金目当てが第一の目的であれば、それはバラまきと言われても仕方ないのです。本当に必要な設備、高いけどこれだけ生産性アップするんだよなー、という人にとっては、本当に有り難い補助金だと思います。つまり、制度を逆手にとって商売するような倫理感が問題であるのです。それは、補助金の本来の目的とは乖離してしまう。
以前公共事業で必要のない箱モノを作って批判されたことがありますけど、補助金を使って導入した設備も、実は補助金のお金目当てで、機械自体が稼働しないで工場の片隅でホコリをかぶっているのなら、箱モノムダ遣い問題と同じことが起きていると言えるのではないでしょうか。
ただし、本当にムダであるかの判断は非常に難しく、工場の片隅に眠っていてムダと思えても、ある時に大活躍するかも知れませんし、その機械を売った商社さんの売上が上がって、社員さんの生活が豊かになり消費につながるのであれば、税金を投入した成果とも言えます。そう考えると、政策の評価は難しく、どこまでの波及効果を見るか?で効果測定は大分変わると思います。そうなると、結局は政治的判断なのでしょうかね。
制度自体は有益なものだと私は思います。継続することを私は望みます。